ララフェルとパイッサ

のんびり気ままに創作小説やら日記やらをあげていくブログ

【小説】夏

完全オリジナル短編小説

「夏」

 

 


うだるような暑さに、高くて青い空。
眩しいくらい白くて大きい入道雲
あたりにうるさいくらい響き渡る、蝉の声。

夏だ、と思う。

引き戸を開け放った座敷でゆでたこになっている私の横には、母が置いていってくれたスイカが2切れある。
手をつけないままそろそろ1時間がたつせいで、きっと生ぬるくなっているだろう。
イカに手を伸ばそうとして、やっぱり考え直して手を引っ込める。
食べたくないのではない。人を待っているのだ。

玄関の方でバタンッと音がした。
車のドアを閉める、小気味良い音が響く。
「来たか」と思い、姿勢を正す。
わざわざ迎えに行ってやることはないけど、あまりにぐうたらな格好で会うのもどうかと思うのだ。
ガラガラと、玄関を開ける音がすると同時に1年ぶりの声が聞こえてきた。
「おばちゃーん!遅くなってごめん!」
ほんとだよ、と思いながらこっそりと玄関の様子を伺う。
そこには、よく来たわねーと言いながら歓迎する母と、去年より少しだけ老けた大好きな幼馴染がいた。
少し顔色が悪そうだ。夏バテでもしたのだろうか。
そんなことを思いながら顔を引っ込めた。

「彩子~!秀くん来たよ~!」
そう言いながら、母は秀を部屋に通した。
母は、ちらりと私の方を見て、ふふっと笑った。なんでしょう、その笑顔は。
ゆっくりしていってね
「ありがとうございます」
母が出て行くと、秀は私の前にすとんっと座った。
「よお、久しぶり」
「うん、久しぶり」
1年ぶりに向かい合って座る秀は、玄関を覗いたときほど老けては見えなかったが、やはり顔色が悪いような気がした。
「元気にしてた?」
緊張して当たり障りのない言葉をかけてしまう。
「こっちはみんな、元気にやってるよ。うちの母さんもびっくりするくらい元気だわ」
「そっか、よかった」
「あ、そうだ、お前に土産を持ってきたんだ。・・・っていっても、毎年同じもので悪いけど」
そういって秀は、紙袋からひまわりの花束を取り出した。
「わあ、ありがとう。毎年楽しみにしてるんだよ」
「好きだったものってひまわりの花しか思いつかなくてな」
「今でも大好きだよ、ひまわり」
ふと話題が途切れる。
沈黙がなんとなく嫌で、また当たり障りのない言葉をかける。
「スイカ、食べない?もう大分ぬるくなってると思うけど」
返事はなく、秀は何かを考え込んでいるようにスイカをじっと見つめていた。
やっぱり、ぬるくなったスイカは嫌だったか・・・と思いながら、庭の方に目を向ける。風がふわっとかけぬけて、チリリンッと風鈴が音を立てる。
さっきまでうるさく大合唱していた蝉の声が、いつの間にかヒグラシの声に変わろうとしていた。
「俺、多分、来年はもうここに来れないんだ」
突然、秀がそう切り出した。
「え?」
庭に向けていた視線を、動揺しながら秀に戻す。
「末期癌なんだってさ。余命はあと3ヶ月」
カナカナカナ・・・とやたらヒグラシの声が脳に響く。
じっとりとした夏の湿った空気がいつもより重く感じる。
「だから、最後の悪あがきにな、ひまわり畑を作ったのよ」
予想外の話の展開に思わず、素直な言葉がこぼれた。
「なんで・・・?そこは最新医療とかにお金をかけるとこじゃ・・・?」
「来世で、お前と結ばれるための願掛けにな。999本植えてやった」
「ああ」と理解して、嬉しい気持ちとやりきれない気持ちが交錯する。
もし私が生きていれば、秀はもっと生きることにしがみついたのだろうか。
「大変だったんだぞ。土地用意して、苗用意して。まあ、咲くのは来年の夏だし、俺は見れないんだけど。手入れとか、うちの母ちゃんにお願いしたら、来年の夏までって約束で引き受けてくれてさ」
ほんと助かったわ~、なんていいながら、私のスイカに手を伸ばした。
「だから、お前のお供えを盗み食いするのもこれが最後ってわけだ」
美味しそうにスイカをほおばる。
なんだ、ぬるくなったのが嫌だったわけじゃなかったのか。混乱した頭の片隅で、やけに冷静にスイカの行方を見守っている自分がいた。
「お迎えは、お前がいいな~、なんて思ってるんだけど、どうだろう」
秀がおだやかな声でそう言う。
「それって、私が秀を殺しに行くみたいなもんじゃん」
自分の声が届いていないのは100も承知だけど、思わずそんな言葉がこぼれた。

私は、18歳のときに車にはねられて死んだ。
高校最後の夏休みの、お祭りの日だった。
「彩子に伝えたいことがあるんだ。だから今年は、二人で、お祭りに行かないか?」
1週間前に秀からそんな連絡が来たときは、嬉しさで夢でも見ているんじゃないかと何度も何度もメールを見返してしまった。
そのときが来たら、私の気持ちも秀にきちんと伝えるんだ。
そう決心して秀との約束場所に向かう途中で、私は事故に遭った。
赤信号を無視した乗用車が横断歩道に突っ込んできたのだ。
私は即死だった。

それから私の命日には必ず、秀はひまわりの花束を贈ってくれた。
毎年きまって、11本のひまわりを。
大学生になって上京しても、社会人になって忙しくなっても、秀は1度もかかさずこの日だけは会いに来てくれたのだった。

「不思議と死ぬのが怖くないんだ」
食べ終わったスイカの皮で遊びながら、秀はそういった。
「お前は、こんなこと言ったら困るだろうし、不謹慎なのは分かっているんだけど、俺、すごい楽しみなんだ」
だってやっとお前に会えるんだぜ、小さくそう呟いて、秀がぎゅっと下唇を噛んだ。この表情を、私は何度も、それこそ毎年見てきた。
泣きたいけど、我慢するときの秀の癖だ。
「あーでもなー。お前は18歳の姿で俺は44歳か。死んだら自分の好きな年齢になれたりしないのかな~」
無理に口角だけをあげて言葉を口にする。
私の前では泣かないと決めているのか、死んでから1度も、私は秀の涙を見たことがなかった。
そんなに我慢しなくてもいいのに、と思いながら、 いつものように聞こえるはずのない言葉をかける。
「私は、そのままの秀でいいと思うよ」
そういった瞬間、秀が勢いよくこちらを振り返った。
「彩子・・・?」
聞こえるはずはないのだ。私は死んでいるのだから。
でも、秀は今、たしかに私の言葉に反応した。
そして今、私の目をまっすぐ秀が捉えている。
見えるはずのない私が見えているかのように。
「気のせいか・・・?」
秀はゆっくりあたりを見回して、首をひねった。
見えては、いなかったみたいだ。
でも、声は届いている・・・?
「死期が近づいているから、お前との距離も近くなったのかな。なんとなく、そこにいてくれた気がしたんだけど」
そんなことないか、と自虐のように笑って、秀は腰をあげた。
「そろそろ行くわ。次会えるのは、来世か、幽霊としてか、分からないけど。またな」
ん~っとおじさんくさく伸びをする秀に、私は賭けに出てみることにした。
「ねえ、秀」
聞こえるはずのない声をかけるのには慣れきっていたが、いざ聞こえるかもしれない、となると緊張で声が震えた。
さっきのは、たまたまだったのかもしれない。
だけど、声が届くのなら、秀が生きているうちに、どうしても伝えたいことがあった。
秀は信じられない、という表情をして今度はゆっくりと振り返った。
「彩子・・・?本当にいるのか?」
やはり、声は聞こえているみたいだ。
「うん、ずっと・・・ここに毎年いたよ。ありがとう秀。花束嬉しかった」
「いや、そうか、よかった。俺、毎年ちゃんとお前に渡せていたんだな」
秀がぎゅっと下唇をかみしめる。
目には今にも零れ落ちそうな涙がたまっていた。
「あのね、秀。お迎えにはいけないと思う」
「そうか、残念だな」
ふっとやわらかく笑う。その弾みに、涙が一筋、秀の頬を伝った。
「それでね、あの日、言おうとしてたことがあるんだ」
「待って」
秀が静かに、でもきっぱりとした声で止めに入った。
「それは、俺から言ってもいい?」
まっすぐこちらを向く。
「ここにいるんだよな?」
そう言いながら秀は私と向かい合う。やはり、見えてはいないみたいだった。
「うん」
頷きながら返事をする。
秀が大きく息を吸う。ゆっくりと吐いて、小さく息を吸った。
「ずっと好きでした。・・・だと過去形か。ずっと好きです。今も、ずっと」
言いながら、秀の目から涙が溢れて零れ落ちる。
声が震えそうになるのを抑えるためか、涙をおさえるためか、秀はぎゅっと下唇をかむ。
私も大きく深呼吸をして、返事をする。
「ありがとう、ずっと好きでいてくれて」
ぐっと言葉に詰まる。
あの日いえなかった言葉がやっと言える。
一呼吸おいて、よし、と心に喝を入れて慎重に言葉を舌にのせた。
「私も、大好きです」
ずっと、大好きでした。今も。
そう口にした瞬間、体が暖かい光に包まれた。
そうか、私は秀に大好きって伝えられなかったことが未練になって、ここに留まり続けていたのか。
静かに、涙を流し続ける秀に声をかける。
「ごめん、もうそろそろ時間切れみたい」
その言葉に大きく目を見開いて、秀は静かに頷いた。
「また、来世で」
かみしめるように秀がそう言う。
その言葉が嬉しくて悲しくて。
秀には見えていないのに何度も何度も大きく頷いた。

「来世では絶対二人で幸せになろうね」

夏の夜独特の湿ったさわやかな風とともに、私はこの世から旅立った。